懐かしの二宮金次郎像

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No818

知っているか・知らないか
やるか・やらないか

昨年はコロナ禍で、子供が参加しているボーイスカウトの
活動が思うようにできませんでした。

今年も、年明けの緊急事態宣言で活動の中止が
重なりましたが、宣言解除の後、少しづつ
活動が始まりました。

そんな中、土曜日、日曜日と
一泊ハイクが行われました。

1日目は晴れ、2日目は土砂降りの中を
思い荷物を背負ってのハイクとなりました。

自分のテントや寝袋、食器や着替えなどで、
それなりの重さになります。

大人でも子供でも一泊に必要な装備の
重さって大きくは変わりません。

そういう意味では、小さな子供にとっては
過酷ですね、、、

母校

2日目の雨のハイクで体力が消耗する子供もいて、
最後の解散場所は、予定よりもかなり手前の
小学校に変更になりました。

この時点で予定の到着時刻をかなり
過ぎていましたから、賢明な判断だと
思いました。

解散場所を手前に変更しても、最終の班の到着は
予定時刻を3時間以上も経過していました。

2日とも朝から夕方まで丸1日歩いていた事に
なります。*私でも大変です、、、汗

この小学校は私が6年間通った母校です。
もう40年以上も前のことです。

卒業をしてからは行った覚えがありません。
雨の中、校庭に車を止めて校舎、体育館、プールを
眺めるていると微かに当時の記憶が蘇ってきます。

子供達もなかなか到着する様子もないので、
学校の周りの道などをぐるっと回って見ることに。

この辺りに同級生が住んでいたな、、、
この道、こんなに狭かったかな、、、
裏の運動場には放課後に自転車でよく来たな、、、

勉強の記憶は全く覚えていませんが、
遊んだ記憶は何となく覚えています。笑

二宮金次郎

その時、校庭の隅っこに、二宮金次郎の像が
あったことを思い出しました。

在りました。在りました。

アレッ? 何だか記憶とちょっと違います。

下半身(ひざ下)がコンクリートに埋もれています。汗
きっと長年いろいろあって足の部分が壊れたか、
もろくなって補強したのでしょう。

それにしても、もう少しスマートな方法は
なかったのでしょうか??

コンクリートで補強するにしても
なぜ、この大きさになるのか??

足の部分を再生することは
できなかったのか??

横の石碑に建立の年月日が書いてないか見ましたが、
昭和?年とはっきりと読めませんでした。

洪水

また、校門の横に昭和51年の洪水を
思い出すものが建っていました。

この洪水については、以前にも書きましたが、
私が経験した最初(で最後?)の洪水です。

長年すっかりと記憶から落ちていたものが、
あの場所、その物を見ることによって
当時が蘇って来ます。

皆さんも、久しぶりに懐かしの場所に
行ってみるのもオススメですよ。

*幼少期の体験はとても大切

【編集後記】

花粉による喉の調子も随分と
良くなって来ました。

ただ、まだ目や鼻がムズムズするので、
もう少し掛かりそうですね。

【昨日の1日1新】

40年以上振りの母校

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