「千代保稲荷」に来て思うこと、、、

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No551

知っているか・知らないか
やるか・やらないか

先日、近くにある「千代保稲荷」
を久しぶりに訪れました。

「千代保稲荷」

ここは「おちょぼさん」の名称で
親しまれていますね。

なん年ぶりに訪れたのか覚えがありません。
気が向いた時に立ち寄るくらいですが
1人で来た記憶はありません、、、

今回は家族揃ってでした。

会計事務所の勤務時代は
毎年お正月明けの出勤日に
所員全員でお参りに行っていた
記憶があります。
*お参りの後の仕事は嫌でした。汗

ただし、私にはお参りの習慣は
ありませんので、あくまで訪れる
だけです。

アゲを買うこともありません。
*「千代保稲荷」では油揚げを
供えます。50円?

よく使う長良川の堤防道路からすぐ近くの
にあるので、堤防道路を通るたびに
「千代保稲荷」の看板を見かけます。

毎月、月末には「月並(越?)祭」という祭が開かれ、
月末の夜から翌朝までたくさんの人が
訪れるようです。

私はこの「月並祭」の時には行ったことが
ありませんが、お客様で毎月行かれている方が
いらっしゃいます。

いつか社会見学として行ってみようと
思います。

「千代保稲荷」は商売繁盛の神様で有名です。
会社や商売をされている方の参拝が多いのでしょうね。

以前は名刺がたくさん刺してある場所がありましたが、
今回は気づきませんでした。

千代保稲荷神社のHPより

・・・・ここから・・・・

千代保稲荷神社の由緒は、約一千年前の平安時代に遡ります。

八幡太郎源義家(みなもとのよしいえ)の六男、義隆(よしたか)が
分家する際、森の姓を授かり、先祖の霊璽(れいじ)、宝剣(ほうけん)、
義家の肖像などを「千代代々に保っていけ」と賜りました。

その後、今から550年ほど前の文明年間に、
義隆の子孫 森八海(もりはちかい)がこの里を開墾し、
義家から伝わる霊璽を祀(まつ)ったのが神社としての始まりです。

社名は「千代に保て」の言葉に由来します。
現在では、おちょぼさんの愛称で親しまれています。

・・・・ここまで・・・・

参道

駐車場近くの鳥居から千代保稲荷までの
参道にはたくさんの店が並んでいます。

大半が食べ物屋さんや野菜などの販売
ですが、最近ではよく分からない?
衣料品店などが増えてきたようです。

私は昔から参道のお店はどうも苦手です。
小さい子供の頃はワクワクしたものですが、、汗。

特に眺めることもなくスタスタと行って
帰ってきます。

何年か前に、串カツを一本食べた事がありますが、
脂にやられてお腹の調子が悪くなりました。

そして2度とあの手の串カツは食べないと
誓ったのでした。

皆さんよく何本も食べられますね、、、怖

私でも大丈夫なたい焼きのお店もありますが、、

変わらないもの

「千代保稲荷」も建物や周りの環境は昔と変わって
きていると思いますが、場所そのものは変わらず
今に至っているでしょう。

数百年とそこにあることを考えると
自分の存在がちっぽけに感じます。

山や川、海などの自然にふれるに時も
同じように感じます。

人の一生は短いですが、それでも、、
だからこそ時間を大切にしないと
いけないなと、「千代保稲荷」
に来て改めて思いました。

宗教色のない私ですが、こういう場所に来ると
いろいろと考えさせられる点がありがたいです。

少年老い易く学なり難し

一寸の光陰軽んずべからず

未だ覚めず池塘春草の夢

階前の梧葉已に秋声

【編集後記】

2月もほぼ終わりに近づきました。
今週は毎日商工会議所に通います。

毎回、確定申告を終えられた方は
ホッとして帰られます。

【昨日の1日1新】

板取、杉島荘の釣り堀

近場の適度なツーリングコース(車・バイク)
なので、何十年も前から何度も訪れています。

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